アイデンティティ
不変への愛
雨の中
久々に雨に打たれた。
ずっとずっと雨に降られることがなくて
傘なんて持ち歩く習慣がなかったから
(あと、よく置き忘れるのも一因)
途中で買えば良かったんだけど
何となくそんな気になれなくて降られてみた。
ぶっちゃけ、琴子ごっこしたかったってのもある。
まぁアレは映画だから画になるワケであり公道でイキナリ踊り出すことなんてできないわけで
結果はただ、ずぶ濡れで歩く女。
すれ違ったランドセルを背負った子どもに避けられたので
明日あたりに都市伝説もどきになってたら
それはそれで面白いなーとか考えながらずぶ濡れで歩く。
歩き慣れないから注意散漫で水溜りに足を取られる。
ストールで頭を覆っても髪から滴り落ちる雨。
お気に入りの皮の鞄は雨に打たれて変色してゆく。
雨音よりイヤホンからのミュージック。
冷たくなっていく身体。
何だか莫迦らしくなって
それでいて新鮮で
ゴチャゴチャしてた思考回路に光がさしたみたいだった。
スッキリした。
夢
話すということ
私の大事な友達が呟いた。
「話す、ということは、勇気がいること。人に話したら逃げられない「事実」になるような感覚がある。自分の中だけなら、なかったことにできたりするのに。」
(少々言葉尻を変えてます)
そうそう!そうなんだよ。
知らんぷりできるはすだったことが
話すと途端により現実になる。
迫ってくる。
だから私は話さない。
事後報告すら怠るときがあって
そのときはたいそう怒られる。
「なんで相談してくれないの」
とか
「一言言ってくれても良かったのに」
とか。
いえいえ、違うのです。
言う必要がないから言わなかったのです。
それから逃げたかったから言わなかったのです。
それを認めたくなかったから言わなかったのです。
手に負えなかったから言わなかったのです。
と、言おうにも
「話してよ人間」にはきっと伝わらないだろうから
結局これも言わない。
あれもこれも
言わない。
言うのは本当に必要なことや
認めたいこと
覚えておきたいこと。
それを本当に必要な人にだけ。
そうしてるうちに
いつの間にか「聞き上手」の称号を手にしていたりする。
少し本筋から逸れるけど
話すことで昇華する人だっている。
話すことで事実の密度を薄めるというか
他人事にするいうか。
そういった人種を責めたい・理解できないってわけではないことを
言い訳がましく最後に書いておく。
"ともだち"という存在
私には圧倒的に友達が少ない。
知り合いとかそういった類すら
他の人の話を聞いてると
少な目な気がする。
別に不便と思った事もないし
寂しいと思った事もないけど
知り合って間もない人の話をしたときに
「こんな考え方があるのか!」と
ハッとさせられることがある。
良くも悪くも。
そういった意味では
色んな人ともっと積極的に出逢うべきなのかもしれない…
なぁんてぼんやり思ったりもする。
と思いきや、想像してみたらやはり面倒。
私は今の人間関係でいっぱいいっぱいだったんだと再確認させられる。
人間関係といっても
私が思う「大事な人」っていうのは片手さえも余るぐらいの少数で
もう愛しちゃってる。
「大事な人」と話をするのは大好き。
分かり合えなくても
意見が食い違っても
それすらも楽しい。
とても、とても、大事。
でも、ほんとに狭くて深くて
ある意味幸せて
とても不便だ。
こんな悩みは贅沢なんだろうか。
でもそれぐらいがちょうど良い気もする。
だから「大事な人」よ
もうちょっと付き合ってよ。